祇園橋
長さ約28.6m、幅約3.3m。本渡の中心地にほど近い町山口川にかかる石造桁橋は、1832(天保3)年につくられたとされ、祇園社(八坂神社)のそばにあることから「祇園橋」と…
このスポットを詳しく見る
長さ約28.6m、幅約3.3m。本渡の中心地にほど近い町山口川にかかる石造桁橋は、1832(天保3)年につくられたとされ、祇園社(八坂神社)のそばにあることから「祇園橋」と…
このスポットを詳しく見る
天領となった天草の初代代官となった鈴木重成が、禅僧である兄・鈴木正三とともに開いた曹洞宗の禅寺です。「東向寺」「國照寺」「円性寺」と並ぶ「天草四ヶ本寺」のひとつ。「島原・天…
このスポットを詳しく見る
天草氏領土内の総鎮守として信州の諏訪神社から分霊した神社です。創建当初は本渡町山口にありましたが、1637年の「島原・天草一揆」で他の寺社と同様に焼き払われ、天領となった天…
このスポットを詳しく見る
キリスト教禁教下には日本各地で教会が破壊され、絵踏みなどによる取り締まりが行われました。なかでも天草諸島と島原半島ではキリスト教徒に対する迫害に加え、飢饉や、領主の悪政によ…
このスポットを詳しく見る
島原・天草一揆のあと、幕府直轄の天領となった天草の初代代官として着任した鈴木重成。一揆で人口が減少し荒れ果てた地域に移住者を招き、僧侶である兄・鈴木正三とともに神社や仏閣を…
このスポットを詳しく見る
本戸城跡の丘に佇むのは、平和を祈るキリスト像。その周りには、「島原・天草一揆」前後に亡くなった天草のキリスト教信者たちが眠る墓が並びます。貿易商人と医師、宣教師という3つの…
このスポットを詳しく見る
肥後赤井の城主木山弾正は、島津氏に攻められて落城し、天草種元の本戸城に客将として迎えられました。小西行長が加藤清正とともに志岐城へ攻め入ると、弾正は約500人の兵を連れて迎…
このスポットを詳しく見る
本戸城跡に佇む歴史ミュージアム。「天草キリシタン史」「南蛮文化の伝来と天草」「天草・島原の乱」「乱後の天草復興とキリスト教信仰」という4つのテーマで構成されており、“日本史…
このスポットを詳しく見る
島原・天草一揆後の人心平定と改宗を目的に建てらえた天草四カ寺のひとつ。円通寺の本尊であった一佛二十五菩薩を安置。八十八ヶ所巡りも。
このスポットを詳しく見る
1601年に天草の領主となった肥前唐津藩の寺沢広高によって築かれた「富岡城」。当時の城は1637年の「島原・天草一揆」で一揆軍の攻撃を受け、間一発のところで落城は免れました…
このスポットを詳しく見る